ストア派アナン・アムラの考察

未来なんてものはない

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未来のことで心を悩ますな。


必要ならば、君は今現在のことに用いているのと同じ理性を


携えて未来のことに立ち向かうであろう。

 

これはマルクス・アウレーリウスの自省録

第7巻8章の言葉である。

 

人は見えないことを不安に思う生き物である。


明日のことはだいたいわかるが、


5年後、10年後のことなんて見当がつかないのである。


この見当のつかなさが不安と恐怖につながるのである。


もはや自分の予測の範囲ではわからないから、


わからないことに対して恐怖を感じる。

 

学校の試験や資格試験で、


勉強を中途半端にしかしない人が、


試験を恐れることと同じである。


受かるべくして受かる人は不安などないし、


勉強をしてない人に恐怖の心は芽生えない。

 

人生は、実際は明日のことすらわからないはずである。

 

昨日が終わって今日が来たからといって、


明日が来るということの何の根拠にもならない。

 

仏教においても「今、ここ、自分」に集中することを求めている。


即今、当処、自己とも言われる。


将来のことを案じているのは君の心であり、


客観的には何も生じていないのである。

 

君の心が不安だからといって、


君が対峙するすべての物事が不安になるわけがないし、


すべての物事が不安だからといって君が不安になるわけもない。

 

マルクス・アウレーリウスが言う「今現在のことに用いているのと同じ理性」とは、


「未来の理性」のことではない。


「未来はきっと理性に従っているであろう」の理性ではない。


あくまで理性は今、現在にしかないのであって、


今のこの瞬間の連続の先に未来があるのである。

 

ただだからといって、

 

今の連続の先に未来があることは意識してはならない。

 

意識している時点で今を生きていないし、


余計な雑念が生じているだけである。

 

未来から考えると、未来が成り立っているのは、


今があったからであるが、


それは未来から見たものであって、


今の視点から考えることではない。

 

人間は他の動物よりも予測能力に優れ、


賢い生き物である一方、


その賢さこそが人間の成長を妨げている。


未来の不確実性に対する恐怖によって、


足下を震わせていることは、


それは悲しいことである。

 

不確実を確実に近づけようと努力する人もいるだろう。

 

緻密で抜かりない計画を立てる人もいるだろう。

 

しかし、どんなに緻密で厳格で完璧な計画を立てたところで、


その計画がうまくいくとは限らないのである。

 

そもそもこれまでの人生において計画通りに進んだことが何度合っただろうか。


片手で数えるくらいか、もしくは両手に収まるくらいであろう。

 

未来をよくしたいと思うのであれば、


今をよくするしかないのである。

 

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(公認会計士試験合格者であり公認会計士有資格者である著者が解説)

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