ストア派アナン・アムラの考察

自分の幸福のみを追求する人間の結末

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トルストイは人生論の冒頭でこう述べている。

 

人はだれしも自分の利益のため、幸福のためだけに生活している。

 

自分のうちにこの幸福にたいする欲求を感じないなどという人がいたら、

 

その人は自分を生きているものとも感じないはずである。

 

人は自分の幸福をねがわずに人生を考えることなぞできない。

 

だれにとっても、生きるということは、とりもなおさず、

 

幸福を願い、それを手に入れるということなので、

 

幸福を願い手に入れるということが、結局、生きるということになるのである。

 

 

つまり、我々人間は

 

幸せが生きる目的であると知っているが故に、

 

自分の幸福を求めてしまうのである。

 

生きる目的は、自分が幸福になることであると思っている。

 

自分が幸福になることを追求し結果、

 

その人はどうなるだろうか。

 

残念なことに、その目的を果たすことはできないであろう。

 

これが根本矛盾である。

 

個人的な幸福を求めた結果、個人的な幸福にたどり着かないのである。

 

そもそも「個人的な幸福」はどうやって満たされるのであろうか。

 

異性に持てれば幸せになれるだろうか。

 

生涯の伴侶となるような素敵な人を見つければ

 

それだけで幸福になったと言えるだろうか。

 

もしくは、

 

仕事で大成功して

 

やりたいことを仕事にして

 

大金持ちになれば、

 

幸せになれるだろうか。

 

おそらく、「幸せになるだろう」と想像するだろう。

 

それらの幸せは想像の範囲では可能であるが、

 

その永続性について想像することは誠に困難である。

 

その幸せがずっと続くことは不可能である。

 

人間は欲深い人間であり、

 

求めると求めるだけ欲しくなる。

 

かつて「これを得れば幸せになれる」というものを

 

得たとしても、もっと多くのものを欲しくなる。

 

煩悩具足

 

これは仏教の言葉であるが、

 

人間は煩悩で出来ているという言葉である。

 

煩悩は滅することが出来ないという意味の説明で使われることが多い。

 

 

おそらく、生きる目的について考えたら、

 

考えるだけ考えて、考えがまとまらないままになる人が多いのではないだろうか。

 

それくらい、生きる目的というものは難題である。

 

現在、生きる目的とは?といった題材で電子書籍やPDFを執筆中であるが、

 

正直、文章量とイラストがとても膨大で、

 

いつになるかはわからないが

 

いずれ公式LINEの方で公開していこうと思っている。

 

生きる目的について知りたいのであれば、

 

公式LINEに登録して頂き、公表を待っていて欲しい。

 

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今回は、君に生きる目的について

 

少しばかり考えて欲しかったためこれを書いた。

 

結論をここに書いても、おそらく伝わらないだろうから

 

ここには書かないでいる。

 

きちんと順序を追って説明しないと誤解される恐れがあるためである。

 

ちなみに、

 

仏教解説者や、日本に多く存在する邪教の信者や預言者

 

生きる目的を知っているとは到底思えないため

 

聞かない方がマシである。

 

試しに聞いてみても、はぐらかされるだけであろう。

 

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